第二次世界大戦下のイギリスに、伯爵と秘書とお抱え運転手からなる爆弾処理チームがいた。これってトリビ

masah:

ちょっと聞いてください。

1. 第二次世界大戦下のイギリスに、伯爵と秘書とお抱え運転手からなる爆弾処理チームがいたそうだ、というツイートを @lk_ss さん がされ、 @zhy_a さんがRTしたものを僕が読み、すげーおもしろい、と思った。

2. オッケーグーグル、と言ったりなんだりしたところ、英語版wikipediaの当該人物の記事が掘れて、読んだら、すげーおもしろい、と思った。

3. 面白いからみなさんも知ればいいのに、とか、なんかそういうことを思ったから酔っぱらって和訳した。訳しきれなかった言い訳などは(*言い訳)として付記してあります。

4. どっかの誰かの書いたものを無断で和訳しているので、なんらかの権利を侵害している気がしてならないが、wikipediaの作法やcreative commonsとかがわからないので、お縄を頂戴する恐れがあるのならその前に僕に忠告してください。

5. 誤訳の指摘やお縄の忠告などをお願いします。連絡先は twitter @masah または、インター電子サイバネティックメールのmasahmur٩( ᐛ )وgmail.comです。




Charles Howard, 20th Earl of Suffolk
https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Howard,_20th_Earl_of_Suffolk

チャールズ・ヘンリー・ジョージ・ハワード第20代サフォーク伯、第13代バークシャー伯、ジョージ十字勲章、王立協会会員(1996年3月2日-1941年5月12日)はイギリスの爆弾解体の専門家であり、また、古くからのハワード一族につらなる、イングランドの貴族階級における伯爵である。彼は1917年までアンドーバー子爵でもあった。彼はフランスの敗北が差し迫った1940年、フランスの核兵器研究者と重水の全備蓄をフランスからイギリスに救出するチームの責任者としてもっとも有名であった。  (*最後のセンテンスはよくわかんなかったからすこし意訳した)

目次
1 青年期
2 第二次世界大戦下の科学者と重水の救出
3 爆弾処理の経歴と死
4 爵位・栄誉・記念

青年期

彼はヘンリー・ハワード第19代サフォーク伯と、レディ・カーゾンの姉妹でありアメリカ人ビジネスマンのリーヴァイ・ライターの娘であるアメリカ人の妻、旧姓マーガレット・ライター(”デイジー”)の息子として生まれた。第19代伯爵は第一次世界大戦の際、イラクのイシュタブラート戦役で殺害された。

15歳でオズボーンの王立海軍大学を卒業した彼は、リドリー・カレッジに進むが、ウィンドジャマー号とマウントステュワート号に見習い士官として参加するため1923年にそこを辞めた。   (*どうもwikipedia原文に脱字があるようだ)

世界一周航海から還った彼は、スコッツガード近衛兵に任命されるが、のちに彼の上官から彼の「ワイルドなやり方」を問題にされ辞任を迫られた。   (* 原文に"wild ways"とある)

1926年、彼はオーストラリアに戻り、牧場見習いとして初めて働き、のちには、かつてマウントステュワート号を指揮していたマッコーム船長と共同で大規模農場を所有した。

1934年、シカゴ生まれのバレエダンサー、ミミ・フォード=ピゴットと結婚し、3人の子供をもうけた。:

  • マイケル・ハワード第21代サフォーク伯(1935年生)
  • モーリス・デヴィッド・ヘンリー・ハワード(1936年11月3日生)、1998年にヴィッキー・サマーズと結婚
  • パトリック・グレヴィル・ハワード(1949年8月18日生)、1966年にメアリー・ジョンソンと結婚し、子供をもうけた

伯爵はエディンバラ大学に入学し、3年後化学と薬理学を首席で修め卒業した。

20代前半で、伯爵はエディンバラ王立協会の会員に推され、オックスフォード大学のナフィールド医学研究所は”爆発物と毒物”の分野の研究職を申し出た。

第二次世界大戦下の科学者と重水の救出

第二次世界大戦中、英科学・工業研究局の連絡将校として、サフォーク伯は同僚のA.V.ゴールディング中佐とともにパリに赴任した。彼らと彼らの私設秘書、アイリーン・ベリル・モーデンとマーガレット・ニコルは1940年6月10日にパリを離れた。   (*中佐か少佐かわからない。原文ではMajor)

彼らはパリからボルドーへおもむき、現地の英国大使館の代理人から、避難者を安全に運ぶ実績のあるSSブルームパーク号の船長を紹介された。彼らは33人の上級科学者を家族とともに船に乗せた。さらに2人の科学者、ルー・コワルスキとハンス・ハルバンが重水とともに到着した。   (*重水/じゅうすい/heavy waterというのは原子爆弾なんかの制御に使われる、当時連合国と枢軸国の核開発競争のなかですごく重要だった化学物質。核分裂の際発する中性子の減速・制御に使われる。両陣営は重水が製造できる研究者や企業を取り込むのに必死だった)

科学者らと重水を退避させる際、アントワープ・ダイアモンド・バンクの支配人のポール・ティンバルが、1千万ドル相当のダイアモンドを携えて避難に加わった。また、彼らは600トンの工作機械が埠頭のワゴンにあるのを発見し、それらも積み込んだ。

ブルームパーク号は乗客と貨物を、ロンドンへ運ぶ特別列車が用意されたフォルマスへ無事に移送した。ダイアモンドはダイアモンド・コーポレーション社の金庫に保管され、重水の大部分はウィンザー城に送られ、必要となるまで英国王の宝冠とともに保管された。

ハワード卿の作戦遂行方法は、彼に「マッド・ジャック」あるいは「ワイルド・ジャック」というあだ名をもたらした。軍需相の大臣、ハーバート・モリソンは後に彼のことを「政府が危険な任務に際して雇った、もっとも優れた若者のひとり」と評した。モリソンは英国下院議会の秘密部会において、「貨物が無事に到着したことで、同盟国に注目に値する成果がもたらされた」と発言した。   (* ジャック、というのは不特定な男性名称の「ヤツ」を意味するJohnの愛称としてJackになったのか、あるいはCharles -> Chuck -> Jack って愛称の変形なのかなー?)

爆弾処理と死

フランスから戻ると、伯爵は軍需省に、新規あるいは未知の爆弾の解体方法を研究する研究将校として勤務した。伯爵はドイツ軍の電撃作戦のさなか、不発弾処理班として派遣された。分遣隊はハワード伯、秘書のモーデン、運転手のフレッド・ハーズで構成された。彼らは自身のことを「聖なる三位一体」と呼び、「垢ぬけた、にこやかな効率性」でもって34発の不発弾を探知し解除した勇敢さで名声を得た。秘書のモーデンは、伯爵が爆弾の信管を抜こうとするその傍らに立ってノートをとった。   (*電撃作戦、原文ではThe Blitz。ロンドン大空襲のこと)

彼はひとつひとつの爆弾を新たな挑戦として観察した。すべての角度から眺め、音を聴き、金属殻を指でさぐり、結論をアイリーン・モーデンに記述させ、爆弾を解除する際には待避所に避難させた。たとえなにか失敗があった場合でも、少なくともほかの者が同じ過ちをしないですむようにした。

ある公式報告では彼の作業を下線でこう強調している:「多くの場合、サフォーク卿は危険な範囲からすべての人間を退がらせ、一人で作業を続けた。彼は意図して自身の日常を危険にさらしていた」。ジャックは運命論者としてこう述べていた。「私の名が爆弾に書かれていたら、それまでのこと」。残念ながら35回目の挑戦が彼らに敗北をもたらし、1941年5月12日、ケント州のエリス・マーシェス湿地で3人全員が死亡した。   (*意図して、のところ、原文のDeliberatelyには「意図して・わざと・故意に」という意味と「慎重に・ゆっくりと」というふたつの意味(真逆な意味を両立させるなよ)があって、どっちか断言できない。)(*伯爵の発言はまったく意味がわかんなかったから変な訳になってる)

その爆弾、250キログラム(500ポンド)の兵器、は湿地帯の開けた平地の、いわゆる「爆弾の墓場」にあった。爆弾類は一時的に輸送上安全な状態にしてこの地に運ばれ、制御された爆発物で破壊されていた。

爆弾は約6か月前の前年の秋に投下され、除去・輸送ののち長らくエリスに置かれていて、工兵のあいだでは「フェイスフルばあさん」のあだ名で知られていた。 爆弾にはタイプ(17)とタイプ(50)の二つの別々の信管が入っており、この二つのタイプの信管は、無傷な信管は教習目的で必要とされ、伯爵が爆弾を処理する際にも修復したものが必要とされ、爆弾処理部隊で供給不足であった。タイプ(17)は時計仕掛けの機械式のの遅延信管で、いっぽうタイプ(50)は動作センサーが組み込まれた対爆弾処理機構だった。両信管は一時的に安全状態にされ、着弾地点から開けた地域に運べるようになっていたが、しかし、信管は爆弾の中に残っていた。   (* known to the Sappers as ‘Old Faithfull’.)

かてて加えて、ドイツ軍は一部の爆弾に、タイプ(17)の取り出しに成功すると起爆する、Zus 40と呼ばれるブービートラップを仕掛けていた。Zus 40はもう一方の信管の下にあり、見るからに信管、という位置にある信管を部分的に引き抜かないと視認できないよう取り付けられていた。

5月12日のランチタイムに、伯爵は彼のオフィスに電話し、タイプ(17)がチクタクと作動していること、Mk II KIM clock-stopperを送って寄越すよう伝えた。14:45までにそれは聴診器とともに届けられ、蒸気で高圧高温処理する準備も整えられた。2名の工兵がスチーマーの水を補給しに行こうとした時、爆弾が爆発した。爆発は伯爵、運転手のハーズ、秘書のモーデン(救急車のなかで死亡)、伯爵とともに作業していた工兵5人を含む近くにいたそのほかの11名を殺害した。Zus 40は伯爵が取り除こうとして起動したかもしれないと後になって推測されている。

賞賛・栄誉・記念

1941年7月18日、英国政府の官報、ロンドンガゼットは、英国王がサフォーク伯へ、爆弾処理への顕著な勇敢さによってジョージ十字勲章を死後追贈したことを発表した。

ウィンストン・チャーチル卿は著書"The Second World War"の第2巻"Their Finest Hour"でこう回想している:

ある爆弾処理の小隊のことを思い起こすと、ほかさまざまの事が象徴的に思い出される。チームはサフォーク 伯、彼の私設女性秘書と運転手で構成されていた。彼らは自身を'聖なる三位一体'と呼んでいた。彼らを知る者にはその勇気と存在感があまねく広がり、垢ぬけた、にこやかな効率性でもって34発の不発弾に取り組んだが、35発目が彼らの命を奪った。サフォーク伯は三位一体のもとへ行ってしまったのだ。だが、我々は確信している。ミスター・真に勇敢な者 、 を賞賛し、彼らのために、あちらの世界で勝利と祝福のトランペットが吹 き鳴らされていることを。   (*散文的な文章なので誤訳が多いかもしれない。ミスター云々"Mr. Valia nt-for-Truth"に至ってはプロテスタント宗教書(天路歴程/The Pilgrim’s Progress)の登場人物がからんでくる話なので手におえない)

1947年9月15日の月曜の午後、チャールトンの聖洗礼者ヨハネ教会で、聖ジョンズ・ウッド教区のジェラルド・スミスのデザインによるステンドグラスの窓が、ブリストル主教フレデリック・コキンにより献納され、特別礼拝が行われた。ステンドグラスのパネルの4つの大きな窓の上部中央には伯爵のジョージ十字勲章が表現されている。2人の主人物は聖ジョージとネポムクのヨハネを表している。聖ジョージは倒した悪の象徴である竜を踏みつけている。14世紀ボヘミアの修道士、聖ネポムクのヨハネは静寂の守護聖人である。彼の含んでいる意味は、おそらくは、爆弾処理に限らず科学的活動すべてにおける強い集中力の必要性に言及しているのかもしれない。また(聖ジョージと同様に)彼の信仰に殉死したことを示唆しているのかもしれない。パネル下部にはサフォークの一族の紋章がある。右側には、伯爵がフランスのボルドーから目覚ましい脱出劇を遂げた帆船、SSブルームパーク号の絵がある。その絵にはドイツ軍飛行機が船の上空に現れ、しかし攻撃することなく飛び去った様子が描かれている。船の絵の上は科学と殉教の守護聖人である聖カタリナが、下には鳥と動物の守護聖人、アッシジのフランシスが描かれている。伯爵は動物を愛し、狩猟や射撃を嫌っていた。中央の2つの窓の下には、2つの情景が魅力的に詳細に描写されている。ひとつは研究所で行われている研究のようす、もう一方は爆弾処理の危険な作業である。爆弾処理チームの上には伯爵と、彼とともに死んだ者たちへの献辞が書かれている。最後に、研究所のシーンの絵の上には、英国を代表する詩人、ジョン・メイスフィールドによる詩がかかげられている。彼はジャック・ハワード卿死去のニュースを聞いてこの詩を書いた。

彼は輝き帆を広げた船を愛した
彼は狩りを苦痛とした
彼は危険に強く立ち向かった;
誰が彼らを天の隠す叡智に導いたのか
いかずちを探り、遊んだのだ。だからこそ;
彼と彼の誠実な友らは我らのために死神に対面した;
孤高の男の気高さはこの地になお
   (*原文の詩は韻を踏んでたりするんだけどそんなの訳せる能力はない)

1973年、BBC英国放送協会は伯爵の生涯を基にしたテレビドラマ・シリーズを放送した。ロナルド・ピックアップは"The Dragon’s Opponent"で主役を演じた。伯爵はマイケル・オンダーチェの小説「イギリス人の患者」に登場する。   (*"The English Patient"は小説邦訳タイトルは「イギリス人の患者」で、映画化された際の邦題が「イングリッシュ・ペイシェント」で、関係ないけどウィレム・デフォーが出てていい映画。)

参考:
ステンドグラス
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Charlton_Church_Stained_Glass_Memorial_to_Charles_Howard.jpg

ここに書かれてるハワード卿のエピソードも面白そう
http://www.scribes.eu/2012/10/wild-jack-howard-crazy-englishman.html

@lk_ss https://twitter.com/lk_ss

@zhy_a https://twitter.com/zhy_a





――日本サッカー、ひいては日本社会の改革のためには、本物のリーダーが必要なのではないでしょうか。

「本物のアイディアを持った人間を然るべき立場に就けて働かせることが重要だ。だが、決して急いではいけない。というのも、突出した人間や優れた人材は、すぐに潰されてしまうからだ。嫉妬が改革を妨げるということを忘れてはならない。創造的な人間には、邪魔することなく仕事をさせるべきだ」

<独占インタビュー> イビチャ・オシムから日本へのメッセージ。~Rewrite the Rule~ - サッカー日本代表 - Number Web - ナンバー

出典: number.bunshun.jp